『いだてん』5話では、明治44年11月19日に開催されたオリンピック予選会の様子が描かれていました。
金栗四三は、誰も経験したことがない25マイルという長距離に挑戦。
一方で、走ることを禁じられた三島弥彦は……。
ここでは『いだてん』5話のネタバレ解説をお届けします。
『いだてん』第5話「雨ニモマケズ」あらすじ
明治44年11月19日、オリンピック出場予選会が行われていました。三島弥彦は、家族から出場したら親子の縁を切ると言われていたことから、一度は出場を断念するも走りたくてウズウズ。
そんななか、まずは100m走の予選が開始されます。100mを12秒台で走らなければ世界についていけない状況の中、優勝候補が走るという一代場面で、いてもたってもいられなかった三島弥彦が飛び入り参加。
100mを12秒ジャストという速さで走りぬいたのです。予選会のトラックといっても足元は砂。そんな状況下で好成績を叩きだし、周囲から歓声を浴びました。しかも、100m、400m、800mもぶっちぎりで優勝を手にします。
一方で、金栗四三ら徒歩部の面々は、予選会場までの道で迷いギリギリで到着しました。四三らが走る長距離走は、予選会のラストに行われます。
競技場を出発して穴守稲荷神社を通り、川崎から東海道を南に下って鶴見川を渡り、東神奈川で折り返す。通算25マイルという長さは誰もが初挑戦でした。
生きて帰ることが重要と言われる過酷なレースで、走り出した途端に雨が降り始め、足元がぬかるみ始めます。
ところが、金栗四三はビリからスタートして、着々と順位を上げていきました。目指すは1位独走しているひとりを抜かすのみ。すると、相手が突然止まって四三を睨み付けます。四三は、その気迫におののいて固まりましたが、相手が走り出すとすぐ後ろをキープ。
すぐに1位を追い抜き、見事優勝を手にしました。しかも、ロンドンオリンピックでレコードした世界新記録より22分も早いゴールだったのです。
この出来事は新聞にも取り上げられ、故郷の幼馴染・春野スヤの元にも嬉しい知らせが届いていました。町ではヒーローとなった四三ですが、熊本の家族には手紙を書くことは出来なかったのです。
『いだてん』5話の見どころ
この経験を基にマラソンを開拓
金栗四三は、世界レコードを破ったのにも関わらず”勝つために”予選会の勝因を自分で分析することにしました。
金栗四三にとってこのレースは初めの一歩であり、ここで満足するのもではなく、この経験を活かして日本マラソンの道を開拓するという願望があったのです。
ストックホルム・オリンピックまであと半年。金栗四三は日本の勝利に向けた準備を着々と進めていくようです。
金栗四三が手にした勝利の秘訣は?
金栗四三は、自分なりに今回の走りを分析してみました。
また、解決しなければならない課題もありました。
このレースで四三は、足袋を履いて参加しましたが、履いていた足袋は雨を吸って重くなり、途中で破れてしまい、結局最後は裸足で走らなければなりませんでした。
だからこそ、もっと強くで頑丈な足袋を作り上げること、それが最大の課題となったのです。
現代でも語り継がれている金栗四三の走りとは?
金栗四三の「スッスッ、ハッハッ」という呼吸法は、現代でも語り継がれている呼吸法のひとつで、金栗四三式呼吸法と呼ばれています。
『いだてん』の金栗四三(中村勘九郎)の走りをご覧いただければ一目瞭然。
胸を張り、腕の振りを小さくし、走るリズムと呼吸を同じにするというのが特徴。
体が弱かった金栗四三が、苦しくなく走ることができるようになったのも、この呼吸法を実践していたからこそなのです。
『いだてん』5話を見た感想
公式ではなくとも、いきなり世界レコードを破ったとは驚きでした。四三は、体が弱かったため、家族は運動ではなく勉強の方に進めよるようにと考えてのことでしたが、マラソンへの熱い思いを止めることは出来なかったようですね。
とはいえ、金栗四三式呼吸法が現代も引き継がれていることはとても素敵なことです。
歴史というのは、語り継がれてこそなので、その一部として今後も失わなわずにいてほしいです。
また、本作のオープニングでは当時のオリンピックの様子も楽しむことができます。
実際の映像が背景になっているので、昭和の風を楽しみたい方はぜひオープニングからご覧ください。