NHK大河ドラマ『いだてん』の第一部が最終話を迎えました。
関東大震災が発生した東京で、亡き暮らす人々を元気づけたのは【韋駄天】。
しかしそこには、女子スポーツの未来を願っていたシマ(杉崎花)の姿はなく……。
24話「種まく人」あらすじ
大正12年(1923)9月3日。関東大震災により浅草の町は2日で消えてしまいました。マグニチュード7.9。東京は壊滅的な被害を受けます。
体育協会は、会長の岸清一の事務所に移転し新体制で始動したばかりでした。死者・行方不明者11万人、火事により全壊した家屋は万棟。
列車が普及すると同時に、家を失った多くの人々が身内を頼って被災地から逃れていきました。
罹災者を救うため、バラックという仮設住宅が大量に必要になると、当時東京市長だった永田秀次郎は、迅速かつ冷静な対応で市民を救うことに尽力。後に震災視聴と呼ばれることになります。
嘉納治五郎はも、競技場として建設中だった神宮外苑と、建設に必要な資材も提供しバラック建設を行えるよう手を差し伸べました。
しかし、金栗の顔は曇ったまま……。その理由は、シマが見つからないこと。シマの夫・増野も生まれたばかりの娘をおんぶしながら町中を探すも、シマの行方は掴めないでいました。
自分の無力さにただただ肩を落としていた金栗は、その辛さから熊本の家族の元へ帰ってしまったのです。
『いだてん』第一部最終話の見どころと感想
シマは何処へ?
シマが地震の被害にあったシーンがあり、金栗も増野もシマの幻影を見ていることから、彼女はもしかして……?という感じでしたが、シマの遺体も発見されていません。
どこかで生きているという展開を迎えるような気もしますが、第一部では明らかになっていません。
しかしながら、やはり金栗と増野が彼女の幻影を見たということは、彼女は既に他界していることを意味していると捉えるのが一般的でしょう。
増野がシマの幻影を見た時、諦めたようにふっと笑みを浮かべたのが気になります。彼女の死を受け入れたのかもしれませんね。
ただ、怖い体験をしたことによる記憶喪失で、どこかで生きているということもあり得ます。第二部でシマが姿を見せるのか、それとも本当に……。
いずれにしろ、第二部を待つしかありませんね。
韋駄天は何の神様?
熊本に逃げ帰った金栗を待っていたのは、幾江の厳しい言葉でした。「東京の人は震災にも負けずに力を合わせて頑張ってる」と話していた金栗に、幾江は「それならなぜ帰ってきた?東京の人を助けないでなぜ捨てて来たのか」と。
そんな男は熊本も捨てる、と罵声を浴びせます。そこで「逆らわずして勝つ」と大声で叫んだ実次の言葉に、金栗はハッと目を覚ましたのです。
無力さに悲観するのではなく、そもそも人間は無力なんだと。それに気づいた金栗の行動は早く、戻ったばかりで再び東京に戻る決意をしたのです。
幾江の顔も笑顔になり、それならばと用意していた救援物資を持っていくよう言います。幾江は、東京の人々を少しでも救う手助けをしようと、あらかじめ救援物資を用意していたのです。
幾江は商売も一家も支えているだけあって、人への情が熱いです。その幾江が、韋駄天は何の神様なのかも伝えていました。
「人々のために走って食べ物を集めて運んだ神様。だからご馳走という」
金栗が東京に着いた頃には、幾江からの大量の救援物資が播磨屋に届いており、金栗は弟子と共に東京中を走り回り物資を届けたということでした。
まさに金栗四三は、韋駄天の神様ですね。
人の絆に感動!冒頭から泣かされる
バラックでは、ノミやシラミに悩まされすすり泣く声さえ聞こえていたと言います。しかし、どんなに苦しい状況でも、誰かが誰かを助けようとする人々の絆に感動させられます。
こんな状況だから何も出来ないのではなく、こんな状況だからこそ助け合おうとする人々に胸が熱くなりました。
そんな中でも、笑顔を見せる子供たちの強さにも勇気づけられたことでしょう。震災から1か月、走りまわる子供たちの姿を見た金栗が考えたのは、運動会を開催しようということでした。
自分の無力さにしょげ返るのではなく、地震の力を逆に利用して立ち向かっていこう!という前向きに考えたのです。
確かに、天災に対して人は無力。
それを受け入れて前を向いて進むというのは、大事なことなのかもしれませんね。