「大秦帝国-QIN EMPIRE-」7話・8話・9話・10話のあらすじとネタバレ感想。病に伏せった公叔座は言葉を尽くして衛鞅を自分の後継者に推挙しますが、恵王は取り合ってくれませんでした。その頃、魏の龐涓は商人を集め、秦国で食糧や油、奴隷用の人間を買い漁るよう指示します。
7話:登用せぬなら殺すべき男
*一部シーンが前後しています。
魏国に潜入する景監に同行することになった熒玉公主は、公主の身分を隠すために男装し名前も「黒林」と変えました。
一方の魏国では、君主の恵王が公叔座の見舞いに訪れます。公叔座は言葉を尽くして衛鞅を自分の後継者に推挙しますが、恵王は「経歴も分からぬ一介の小役人を丞相になどできん」と取り合いません。
立ち去ろうとする恵王に公叔座は「衛鞅を登用しないなら殺すべきです。魏のために、彼を他国に行かせてはなりません」と進言しますが、恵王は適当に返事をして去ってしまいました。
ますます病状が深刻になった公叔座は衛鞅を呼び寄せると「今すぐに逃げなさい」と伝えます。さきほど衛鞅を殺すよう進言したのは丞相としての言葉であって、師としては衛鞅を生かしたいのです。
公叔座は衛鞅に「お前が手柄を立て、出世する姿を見たかった。残念だ……」と言葉を遺して息を引き取ります。
その頃、魏の総司令官である龐涓は有数の商人を集め、秦国で食糧や油、それから奴隷用の人間を買い漁るよう指示しました。それらを高値で買い取ることを約束すると、商人たちは乗り気になります。
さらに龐涓は、秦国の民が逃げ出すような流言を広めるよう商人たちに指示しましたが、これら全ては秦国を自滅させるための策でした。
その後、秦国で流言が広まり始めると、龐涓の狙い通り秦国から民が逃げ始めました。
しかし、秦国の君主である渠梁は、流言が魏の商人の仕業だとすぐに見抜きます。渠梁は配下たちに魏の商人を捕らえさせ、人質として拘束することにしました。
8話:西カンの反乱
秦国君主の渠梁のもとに、“燕と趙の密使が隴西の八大部族の1つである西カンに入った”との急報が入ります。
隴西の事情に詳しい嬴虔は、西カンの族長は王を自称している上に燕と趙と交流があるため部族の中で最も危険だと説明しました。
そして嬴虔は、「燕・趙と西カンはすぐには連携できないはずだ。その間隙につけ込もう」と提案します。
その提案を承認した渠梁は、嬴虔に5万の兵と指揮権を授けました。また、子車氏の子孫である車英を西カン平定の前軍大将に任命します。
その後、車英は魏国の密使に身を扮して西カンの族長に会いに行き、5月6日に秦国攻めを決行すると伝えました。
一方、魏国に潜入した景監と熒玉は薛国の商人に扮して卬公子(魏王の弟)を訪ねました。景監は公子の屋敷に飾られている宝剣を「三級品」だと評し、代わりに持参した一級品の天月剣を献上します。
そうして卬公子に取り入ることに成功した景監は「秦国で稼いでいるから秦国が滅ぼされたら困るんです~」と泣きつきます。公子卬は少しの間なら自分が何とかしてやろうと言うのでした。
9話:相次ぐ脱退
秦国は西カン平定の戦にかろうじて勝利したものの多くの死者が出てしまいます。
一方、魏の君主 恵王は今回の戦の負けについて燕・趙の使者と言い争いをしていました。結果、燕と趙は秦国を分割する同盟から脱退します。
さらに 斉と楚までもが脱退すると、龐涓は魏だけで秦国を滅ぼせばいいと恵王に主張しました。しかし、恵王は「脱退した四国が秦と組んだら太刀打ちできない」と言い、龐涓の意見を却下します。
また、恵王は、龐涓が秦に潜入させた数千の商人が人質として捕らえられたことを責め立て、龐涓から軍の指揮権を取り上げたのでした。
その頃、景監のもとに密書が届きます。密書には渠梁からの2つの指示が書かれていました。
「1つは龐涓を妨害すること。2つ目は衛鞅のことだ。衛鞅の才能を知った魏王が衛鞅を登用したら、秦の脅威になる」
密書を読んだ景監と熒玉は衛鞅に近づくべく、衛鞅の行きつけの酒場「洞香春」に足を運びます。接触に成功した景監は、衛鞅に囲碁対決を申し込みました。
対決を見ていた洞香春の女主人 白雪は後日、正体を隠して衛鞅に会いに行き「あなたが囲碁で対戦した相手は秦の密使よ」と教えます。
10話:丞相の座
龐涓は公叔座が次の丞相に推挙した衛鞅を配下に見張らせます。そんな中、卬公子が訪ねてきました。
丞相の座を狙う卬公子もまた衛鞅を警戒しており、龐涓に「丞相の座を衛鞅に奪われぬよう手を組みましょう」と話を持ちかけます。
龐涓は「もしも公子が丞相になられたら、私の目指す諸国制覇(天下統一)を支持して下さいますかな?」と確認。公子は全面的に支持すると約束し両者は手を結びました。
龐涓は引き続き配下に衛鞅を見張らせ、また、景監と熒玉公主も衛鞅の動向を探り続けます。両者が酒場「洞香春」で衛鞅を見張っていたある時、1人の男が衛鞅に「秦の六国分割についてどう思いますかな」と声をかけました。
衛鞅は「秦の討伐や分割を進めるのは時期尚早、今は秦の弱体化を狙うべきだ。弱体化なら決戦を避けつつ、秦が西に撤退するのを促せる」と意見を述べます。
監視しながら聞いていた景監は、衛鞅が魏で登用されれば秦にとって脅威になることを改めて痛感し、すぐに渠梁宛ての密書を送りました。
また、同じく監視していた龐涓の配下も、「洞香春」で衛鞅が語った弱体策を龐涓に報告します。
報告を聞いた龐涓は自ら衛鞅を訪ね「手柄を立てないか」と持ちかけますが、衛鞅は公叔座の墓守を理由にやんわりと断るのでした。
後日、龐涓と卬公子は衛鞅を呼び寄せ、衛鞅を軍令司馬として迎えたいと打診します。しかし、ここでも衛鞅は墓守を理由に断るのでした。