ドラマ「大秦帝国」あらすじ全話一覧とネタバレ感想を最終回まで詳しく紹介します。本作は、弱小国の秦が戦国時代屈指の国へと成長する過程を、二人の主人公を通して描いた本格時代劇です。
孫皓暉の同名小説を原作とし、孫が自ら脚本も担当しています。(大清帝国だいしんていこく)
全話一覧(全51話)
1話あらすじ:魏国と秦国の戦
春秋戦国時代の中国大陸。
河西の要地・少梁にて、魏国と秦国の戦が始まりました。初戦で大勢の死傷者が出てしまった魏軍は、翌日の決戦に向けて協議を開きます。魏軍の総師で丞相でもある公叔痤は「このままではわが軍は勝てん。明日はどのような戦法が良いか」と意見を募ります。
そこへ、魏王の弟で援軍の大将でもある卬公子が到着しました。公子は今回の戦の結果について「これでは負けも同然だ!秦国を滅亡に追いやる気概がないなら鎧を脱げ!」と言い放ち、自分には勝てる策があるからと公叔痤に指揮権を要求します。公叔痤は指揮権を譲ることにし、翌日の決戦は挟み撃ちで挑むことにしました。
協議が終わって武将たちがいなくなると、公叔痤は弟子の衛鞅(*主演)と2人で話し合います。持久戦に持ち込めば弱小国の秦国に勝てることは分かっていましたが、魏王が持久戦を好まないためどうするべきかと頭を悩ませます。
翌日の決戦。秦国の24代君主・嬴師隰(=献公)が20万の兵を率いて少梁に総攻撃を仕掛けました。魏軍は迎え撃ちますが、献公の次男・嬴渠梁(*主演)によって公叔座が捕らえられてしまいます。魏軍は明朝に公叔座を救出することにしました。
一方の秦軍は公叔座を捕らえたことで士気が爆上がりしていましたが、嬴渠梁は献公に「退却するべきです」と進言します。国庫は空で食糧もないこの状況が続けば国の存続が危ういというのです。しかし、献公は進言を聞き入れないばかりか嬴渠梁を降格させました。
再び少梁に攻撃をしかけた献公は毒矢に射られて包囲されてしまいます。窮地に陥ったところを、駆けつけた嬴渠梁により救出されました。
2話あらすじ:ふさわしい後継者
秦軍の本営。毒矢を受けて重傷を負った秦国君主の献公は、次男(第二公子)の嬴渠梁に退却の指揮を任せることにしました。
その後、秦軍は嬴渠梁の指揮のもと少梁の戦から撤退します。しかしその途中、第一公子の嬴虔と第二公子の嬴渠梁のもとにそれぞれ、国都に戻らず外地にとどまるようにとの王命が届きました。
2人の息子を外地にとどめたまま献公が国都に戻ると、そのことを知った献公夫人は「あなたの亡き後はどうすればいいのですか?過去4代の乱政はすべて世継ぎ争いによるものです、それなのに息子たちを外地にとどめて1人で戻ってくるなんて!」と心配を口にします。
献公は「息子たちは じきに戻る」と言って夫人を安心させた後、後継ぎについてどう思うかと尋ねました。夫人は「2人ともよい息子です。1人はこの手で育て、もう1人はお腹を痛めて産んだ子です」と答えにならない答えを口にするのでした。
その後、献公はどちらの息子が後継者にふさわしいか、老太師の甘龍に助言を求めました。(甘龍は献公がまだ太子だった頃から献公を支持しただけでなく、その後30年も放逐されていた献公を即位させた功績があります)甘龍は2人とも優れていると前置きした上で、「第一公子の方が献公に似ておられる。勇猛果敢で寛容にして徳が深い」と嬴虔を推薦しました。
3話あらすじ:嫡子と庶子
寿命を悟った秦国君主の献公は第一公子の嬴虔だけを呼び寄せ「君主になりたいか」と問いかけました。嬴虔は父上の意向に従うと答えると、献公は次に「お前と渠梁を分け隔てたことはあるか」と尋ねます。
嬴虔は「1歳で実母を亡くしてから、今の母上は実子以上の愛情を注いでくれました。生涯その恩を忘れることはありませんし、嫡子と庶子の分け隔てなど感じるはずがありません。父上の愛情も不平等だと感じたことはありません」と涙ながらに答えました。
献公は「ならば安心した」と言い、君主には誰がふさわしいと思うか問いかけます。嬴虔は「渠梁です」と答えますが、献公は言葉だけでは信じられませんでした。それというのも、かつて前君主は崩御前に 自身の弟に献公を支持するよう約束させましたが、献公は当時5歳で幼かったことから前君主の弟が約束を破り即位したのです。
そういった過去のある献公は口約束だけでは信じられず、嬴虔に「その心に偽りがないと証明してくれ」と言いました。すると、嬴虔はその場で指を切り落として血書(我に謀反の心あれば、いかなる処罰もいとわず)をしたためたのです。
次に献公は第二公子の渠梁を呼び出し、自分亡きあとの後継者に任命しました。そして、嬴虔の血書を見せながら「もしも嬴虔が裏切ったらこの血書を公にするように」と言いました。
そして、献公は渠梁に“魏国への報復を焦ってはならぬこと、臣下には誠意を忘れず内政を安定させること、兄弟で心を一つにして憎み合わぬこと”を約束させ息を引き取ります。
直後に朝議が開かれると、献公の崩御を知った大臣たちは口々に「第一公子こそが君主にふさわしい」と唱えます。しかし、当人の嬴虔がそれを制止し献公の遺言を公示させました。
「第二公子 渠梁は即日君主の位を継承せよ」
こうして、渠梁は国の存亡が危ぶまれている時期に第25代君主に即位しました。一方の魏国では、献公の崩御を知った第3代君主・恵王と重臣らが秦国を滅ぼすべく策を打ち出していました。