『いだてん-東京オリムピック噺-』11話のネタバレと解説。オリンピックの開会式を控えたストックホルムでは、日本のプラカードを表示をどうするかで話し合っていました。海外の人にもわかり易いようJAPAN表記にするべきという中で唯一、金栗四三だけは大反対。一体その理由とは……。
大河ドラマ『いだてん-東京オリムピック噺-』
11話「百年の孤独」あらすじ
オリンピック開幕式まで1週間というところで、日本のプラカード表記はどうするかという話になり、海外の人にも日本を知ってもらうためにも、JAPAN表記で意見は一致……とはならず唯一、金栗四三(中村勘九郎)だけは「日本はジャパンではなく日本だ。日本という表記じゃないと意味がない。日本という表記にしなければ自分は出場しない」と言うのです。
しかし、”日本”と書いても海外の人に読めません。すると、それを皮切りに金栗や三島弥彦(生田斗真)、大森兵蔵(竹野内豊)までが心の中にしまい込んでいたモノを吐き出すかのようにぶちまけ合います。
その様子を見ていた嘉納治五郎(役所広司)は、「それぞれを認め合っているからこそ本心を言い合えるほど成長した」と大喜び。そして意見をまとめるかのように、プラカード表記を「NIPPON」としようと提案し、金栗も納得したのです。
そして明治45年7月6日(1912)、ついにストックホルムオリンピック開幕式を迎えました。
まず、短距離走(100m)の予選が始まり、三島弥彦の出番が近づきます。金栗や大森、嘉納治五郎らは、コースから少し離れた場所から今か今かと弥彦の登場を待ちわびていました。
ところが、いつになっても弥彦の姿は見えず……。その頃、大森は控室でうつむいている弥彦に「君が闘うのは外国選手ではなくタイムだ」と話し、プレッシャーに押しつぶされそうになっていた弥彦は、笑顔と自信を取り戻したのです。
そして7月12日。弥彦は400m予選で準決勝に残るも「日本人に短距離は無理だ、100年かかっても」と、笑顔で出場を辞退しました。
こうして、全力で走り切った満足感とさわやかな笑顔と共に、弥彦のオリンピックでの闘いは終わることになります。7月12日、金栗のマラソン競技当日。
いつものように川で水浴びをしている金栗の元に、弥彦もやってきて「一度やってみたかった」と一緒に水浴びを始めました。弥彦の笑顔を見た金栗は、自分も弥彦のように笑顔でゴールしようと決意したのです。
大河ドラマ『いだてん-東京オリムピック噺-』11話の見どころ
戦うのは他選手ではなくタイムだ!に納得
三島弥彦は、ストックホルムでの練習を始めた時から、外国選手との体の大きさの違いや、スピードの違いにプレッシャーを感じていたようでした。
12秒という速さは、日本ではトップクラスのタイムでしたが、ストックホルムではまったく意味を持たないタイムだと感じていたようです。
嘉納治五郎から「12秒」を連呼され、自分でも大きな自信をもって挑んだものの、外国選手との違いに走ることが怖くなっていたのでしょう。
確かに、初めての大舞台で自分よりはるかに大きな選手を相手にするとなると、出場したことさえ後悔するほどの怖さがあったかもしれません。
しかし、大森監督の一言が彼を救い、最後は笑顔でゴールできました。「敵は選手ではなくタイムだ」。これはどの選手にも言えることで、弥彦が自分と闘っていましたが、周りの選手を見て思ったのです。
彼らも自分と同じ思いを抱えていると……。
三島弥彦は自己ベストを更新していた
タイムと闘った弥彦は、自己ベストを更新。これまで12秒だったタイムを11秒8に縮めたのです。
これは、他の外国選手に引けを取らない速さであり、日本でも記録的な数字でした。大森監督の一言が彼に自信と笑顔を取り戻させたのでしょう。
三島弥彦は、本当に全力を出し切ったからこその笑顔で、これ以上はもう”日本人には無理だ”と察し準決勝を辞退したようです。
今の自分にはこれが限界というより、”日本人に短距離は100年早い”と思ったからでした。
弥彦の「日本人に短距離は100年早い」という言葉で、日本のスプリンターたちの挑戦が始まります。そして、三島の挑戦から96年後。
日本は、北京オリンピックのトラック種目で初メダルを獲得。三島の言う通り、日本はおおよそ100年で、世界に並ぶ記録をたたき出したのです。
大河ドラマ『いだてん-オリムピック噺-』11話の感想
ストックホルムオリンピックでの裏事情、金栗が日本はJAPANではなく日本だということにこだわった背景など、当時はこんなことがあったのかと、勉強になるひとコマもありました。
金栗と三島が背負った日本は大きくも、諸外国の選手との違いに自分たちがちっぽけに見えたのかもしれません。世界は広い……という言葉通りですね。
『いだてん』は、いい意味でも色々なものを見せてくれるドラマだと思います。ストックホルムでの様子は、当時行った人でなければ知りえることは出来ませんし、外国選手との違いや、生活環境などの違いを乗り越えるのも一苦労だったはずです。
オリンピックをテーマにしているものの、彼らのそういった苦労話を知る上でも素晴らしい内容だと感じました。
2020年には東京で2度目のオリンピックが開催されますが、彼らの出場があってこそのオリンピックであり、彼らが日本人としての最初の一歩を踏み出さなければ、2度目を迎えられたかも分かりません。
今は外国との交流も当たり前の世の中ですが、当時の方たちの苦労が礎になっていることを肝に銘じたいですね。