ドラマ『いだてん』17話。
欧州戦争の延期によりベルリンオリンピック中止が金栗四三にも伝えられました。
ストックホルムの雪辱を果たすため、すべてを掛けてきた金栗は打ちひしがれていたのです。
それを支えたのは妻スヤ。彼女からヒントを貰った金栗が思いついたのは、あの駅伝でした。
NHK大河ドラマ『いだてん-東京オリムピック噺-』
17話「いつも2人で」あらすじ
ベルリンオリンピック中止は、金栗四三にとって無念の言葉しかありませんでした。部屋に閉じ籠っていたある日。
四三のもとにスヤが訪ねてきます。スヤは義母・幾江に「東京に行って四三を連れて帰って来い」と言われ、やってきたのです。
スヤは、四三に「東京に帰ろう」と話します。四三は、「辛い練習をした時は、必ずスヤの夢を見ていた。寝ても覚めても辛かった、だから金メダルを取って終わりにしようと思っていた」といいます。
なぜ戦争をしなくちゃいけないのか、悔しくて仕方ないとスヤに本音を話しました。それならば、オリンピックが終わったと思って笑って熊本に帰ろうと提案。
四三は、笑って見せますがスヤは「本当に終わったのなら四三はもっと笑うはず。それは笑っているとは言えない」と……。
始まっていないものは終わってもない。四三は、スヤの胸を借りて泣いたのです。
翌日、スヤは播磨屋で自転車を借り、四三は足袋を履いてマラソン練習を始めます。四三の隣を自転車で走るスヤ。夫婦二人三脚でした。
その日の夜、スヤは今後の話を切り出しましたが、四三はマラソンのことばかり。話がかみ合わなかったスヤは、「金栗四三が50人いたらよかばってんね」と、ふて寝してしまいます。
その言葉にヒントを得た四三は、東京から大阪までひとりでは無理でも、50人いれば走れると思いついたのです。
四三は、このために指導者になると決め、嘉納治五郎に相談しました。シマの働くミルクホールで、嘉納に説明している最中、隣にいた讀賣新聞の記者が四三の話に興味を持ち話しかけてきたのです。
ドラマ『いだてん』17話の解説と感想
駅伝誕生は東京五輪への襷となる
ひとりでは走り切れないレースでも、皆で走れば可能になると考えた四三。体育協会では、どうせなら東海道を走るマラソンにしたらどうかという話になります。
読売新聞の記者と知り合ったことから、レースは読売新聞の主催で開催されるとのこと。一方で、嘉納も今回のマラソンレースで”いつか東京でオリンピックを開く競技場を作る”という目標をあげました。
招かれるのを待っているのではなく、外国の人々を日本に招く!明治神宮にスタジアムを作りたいと考えるようになったのです。
ひとりでは走れない距離をみんなで走ることは、日本のマラソン人口の拡大にもつながるということ、さらに讀賣が主催なら間違いないから開催には問題がないということもあり、日本初のマラソンレースが決定したのです。
それについて、今度は名称を考えなくてはなりません。嘉納治五郎は〇〇オリンピックと付けたかったようですが、永井道明が大反対。
しかし、他に提案された名称の中で、四三にピンと閃くものがあったのです。
東海道五十三次驛傳
「東海道には53の宿場町、つまり駅がある。その駅を伝って走る大会だから駅伝」はどうかという意見が上がります。
四三はこの名称に「これだ!」というような顔をしました。
”東海道五十三次驛傳(えきでん)競走”
そして大正6年4月27日、午後2時に京都三条大橋をスタートし、日本初の駅伝レースが開催されたのです。コースは以下の通り。
草津→水口→四日市→桑名→名古屋→岡崎→豊橋→浜名湖→見附→掛川→藤枝→静岡→興津→吉原→三島→箱根→国府津→藤沢→川崎→上野
浜名湖?当時、湖をどう渡ったのか。
これについては昭和35年(1960)を舞台に、田畑政治(阿部サダヲ)が、東京都知事の東龍太郎とJOC常任委員の岩田幸彰(松坂桃李)に説明していました。
最初の駅伝レースはちょっぴりマヌケだった?
当時、田畑政治は浜名湖でのレースを見ていたようです。湖を渡るマラソンなんて聞いた事がありません。
その区間を”走る”選手はどうやって浜名湖を渡ったのでしょうか。
田畑政治にると「湖は船で渡った」ということでした。
みんな「がんばれ~」と応援していたものの、船を漕いでいたいたのは船頭さんで、 選手はただ乗っていただけ。
そのバツ悪そうな顔がマヌケだったよ、と話す田畑。さらに、見附からの選手が走り出してすぐに、アキレス腱が切れてしまい、代わりに他の選手が2区間走るというトラブルがあったとのことでした。
四三はアンカーで走ることになっていましたが、最後は他の選手も一緒に上野を目指して走ったとのこと。あれれ?結局、全区間走ることになってはいまいか?
しかし、この駅伝大会が思いのほか大成功をおさめたのです。興味を持ってもらえれば、という思いで開催されましたが、沿道には日本中の人々が押し寄せて大混乱。
電車も立ち往生してしまうほど盛り上がったのです。
516kmを46人の韋駄天が駆け抜けた、日本初の駅伝レース。これが現代にも続く”駅伝”の物語なのです。
ドラマ『いだてん-東京オリンピック噺-』17話の感想
思いがけない駅伝と東京オリンピックとの繋がり。駅伝がなければ、1964年の東京オリンピックは無かったかもしれませんね。
コースに浜名湖が入っていたので、もしかしたら水泳選手が泳いで渡ったのかと思いきや、なんと船に乗っていたとは……。
確かに、走ってるわけじゃないので、乗っていた選手はどんな顔したらいいかわかりませんね。
今回は、ユーモア満載で”隠れざる秘話”が垣間見れたような気がします。更に、ラストではスヤが懐妊したと報告が……。
故郷では、この話で大盛り上がりとなり、幾江も喜びでいっぱいの様子。この先、何も問題が起きないといいのですが、どうやら次週も四三がやってくれそうな予感がします。
ドラマ『いだてん-東京オリムピック噺-』16話と17話の視聴率は以下の通りです。
16話視聴率:7.1%
17話視聴率:7.7%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)