日本初参加のオリンピック選手を決めるマラソンレースが行われることになりました。
その距離は40kmで、生死に関わる過酷なレースでしたが四三は仲間とともに自らを極限状態に追い込み挑みます。
それでは『いだてん』4話のネタバレ解説をお届けします。
『いだてん』4話「小便小僧」あらすじ
明治43年、日本初のマラソン大会が行われようとしていました。もちろん、3話で走ることに衝撃を受けた金栗四三も参加しますが、スタート直前に緊張のあまり用を足しに行ってしまい、出遅れてしまいます。
その頃、高等師範學校の加納治五郎の元に、三島弥彦が訪れていました。加納治五郎は三島弥彦に「世界の中心で走ってみないか?」と、オリンピックに選手として出場しないかと誘っていたのです。
一方で、金栗四三がスタートした頃には他の選手はすでにスタートしており、その姿は見えませんでした。ところが、独自で編み出した呼吸法により猛スピードで追いつき、次々と選手を追い越していきます。
加納治五郎は、現時点では”世界レベル”の選手はいない。しかし必ずどこかに世界に通用する韋駄天(いだてん)がいると信じていたのです。
そして、そろそろ第1群がゴールすると連絡を受けた加納治五郎は、1位の選手を出迎えるためゴール前で待機しましたが、すでに遅し。
ゴール脇には3位で戻ってきた金栗四三が座り込んでいたのです。金栗四三は、スタートが大幅に遅れたものの、ごぼう抜きで3位でゴールし銅メダルを獲得しました。
予科性としては初めてのことで、加納治五郎から激励を受け、うれしくなった四三は母に報告の手紙を出しました。
ところが、母の代筆として兄が送ってきた手紙には、マラソンをするために高等師範學校に通わせたわけではない、勉強するようにとの返事が……。
喜んでもらえると思って出した手紙への思いもよらない返事に四三は、”自分はまだ体の弱い子供のままだと思われている”として、二度と手紙を書かないと決めたのです。
金栗四三の決意!
徒歩部への参加
金栗四三はまず、徒歩部に入部しました。徒歩部といっても歩くわけではなく、今でいうマラソン部、陸上部という倶楽部です。
走るにはまず体力づくりが必要なこと、スタミナが必要なことを学び、學校が終わると近くの料理屋で仲間たちとスタミナ料理を食べたり、走ることについて話し合います。
そして明治44年、オリンピックに参加する代表選手を選ぶマラソン大会が開催されることになりました。
四三たち徒歩部のメンバーも、もちろん代表選手になることを目指しますが、まだまだ世界と戦うにはスタミナがなさすぎる。持久力は大切で、それには何が一番効果的なのかを四三は資料から探し出したのです。
明治時代のスポーツ誌に基づく練習法とは?
明治時代のスポーツ誌の一部に掲載されていた練習法を実践することにした徒歩部の面々。その練習法は過酷なもので、水抜き練習法、脂抜き練習法というものでした。
体の中から脂を出し水分を抜くことによって、体を軽くするとするもの。汁物は具だけを食べ水分は一切取らず、走ったあとも水を一切飲まないという練習法だったのです。
何日も、その練習法を実践したものの何人かは数日で脱落。四三は最後のひとりになっても続けていましたが、ある日マラソン終了後に倒れこんでしまったのです。
仲間に寮へ担ぎ込まれた四三が最初に行ったのは調理場でした。椀の中に梅干しと水を入れて何杯もガブ飲みし、この経験により四三は”自然に従うこと”を学んだのです。
なお、この練習法は自分自身を追い込んで精神を鍛えるというもので、早くなるための練習法ではなかったとのことでした。
誰も経験したことのない過酷なレースに挑む!
オリンピック出場選手を決める大事なレースが準備段階に入りました。加納治五郎は、マラソントラックの制作に取り掛かりますが、直前になって三島弥彦は出場しない意向を示します。
弥彦が出場するを知った兄と母が、三島家の恥になると反対したことが理由で、トラック制作の融資も断られ、加納治五郎は途方に暮れてしまいます。
それでも参加を決定した以上、ここでやめるわけにはいきません。世界に通用する韋駄天を探し求めます。
これまで長距離走では死者も出たと言われていましたが、40kmというのはまさに”誰も経験したことにない”距離でした。
体が弱く走ることもできなかった幼少時代、高等師範學校へ入学し走ることの楽しさを知ってしまった四三は、まさに生死を掛けた過酷なレースへと挑むのです。
『いだてん』4話の視聴率は11.6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と、順調に2桁キープしています。東京オリンピックを2020年に控えているというのも、本作が関心を得ている理由でしょう。