事件解説:因吉天伝説
事件のカギである因吉天伝説を紐解きながら事件の経緯をご案内します。
・医学の賢者である翁兀勒・宝善堂 孫神医
彼は自身が書いた医学書の印影に毒を仕込まれ、書を開いたり閉じたりするときに舞った毒を吸いこんで亡くなりました。
・舞の聖人阿納日・戸部尚書の娘 楚啓儿
飛花閣で舞を披露し、最後に開いた蓮の花の赤い蕊から噴き出した毒を吸いこんで亡くなりました。
・叡智の聖者 莫日根・封家の四子の兄弟
依頼された巻物を修復している際に、赤い顔料に毒を仕込まれ毒殺されました。
・農耕と桑の聖人 賛桑・雲裳坊の吴婦人
金箔と絹糸を織り込んだ布を織れるのは彼女しかいません。王硯が駆けつけた時には彼女は既に亡くなっていました。
・正義の賢者 烏尤・大理寺卿の陶周風?
大理寺の印字がある惊堂木があったため警護を続けますが……
・音楽の聖人羅那錦・礼部尚書の孫 龔毓貞
楚啓儿の殺人事件の片棒を担ぐことになり、そのうえ犯人に攫われてしまいました。
実は、正義の賢者 烏尤としてこの一連の事件を解読した人間、つまり張屏を狙っていました。それを探すために、敢えて暗渠の幽鬼・毒殺犯は事件のヒントを何度も提示していたのです。
ヒントを元に自分に辿り着いた者を正義の賢者として因吉天に捧げたかったのです。
大理寺の印字がある惊堂木を置いたのは、もし本人につながるものを置けば警戒されてしまうため、油断させるためにわざと偽の手がかりを示したのでした。
六賢人を再び蘇らせ因吉天に捧げることによって、新しい世界に子供時代の仲間である阿虎と石奴と一緒に、二度と苦しみのない世界へ生まれ変わることが出来ると信じて彼らを毒殺し、祭壇に祀ろうとしていたのです。
では、そもそも毒殺犯はなぜ、35年前でも20年前でも10年前でもなく、今になって六賢人を蘇らせようとしたのでしょうか?
ある日、突然毒殺犯のもとを一人の権力者が因吉天の伝説と呪文を教えに来たのです。彼は血霧の毒を使って六賢人を殺害し祭壇に集めることで桃源净土で阿虎と石奴に再会できると偽り、この事件を起こさせたのです。
果たしてこの謎の権力者とは誰なのでしょうか……
事件解説:摩籮村の事件 (報告書の記載)
二十年前の永源元年7月 陵南道、摩籮村で殺人事件が発生し、全村で誰も生き残りませんでした。全員が硬直して死んでおり、村人たちが妖術を修練していたことが判明しました。
鉄砲水のため桟道は破壊されていました。修復には数カ月を要しました。
血の色の霧が空から降り、神の怒りに触れて死んだという噂が流れましたが、審査の結果異論はなく事件は解決とされました。
蘭珏と王硯がこの事件が、蘭林の事件となにか関わりがあるのではないかと考えた理由は以下の通りです。
蘭林が蘭府を出たのは永源元年4月上旬。鉄砲水に遭い桟道が流され迂回しなければならなくなったと手紙に書いて来たのが、この事件の記録に残る水害のことではないか。
そして三か月後に南部に着いたというなら事件が起きた頃に、もしかしたら蘭林がいた場所はこの事件の摩籮村の近くだったのではないかと予想したためです。
村で事件が起きた7月にこの辺りにいて、そして三か月かけて都に戻って来たならば、蘭林が向かった時期と方向があっているのです。
突然、軍と全く関係ない中書侍郎の蘭林に降ってわいたような南征軍の軍の機密の漏洩という罪が着せられたことが、この事件を背景に見ると謎が解けるかもしれないと二人は思い始めたのです。