Netflix【フルニレ連続暴行殺人事件:共犯者モニク・オリビエの心の中】ネタバレ解説。本作は、フランス史上最悪の連続殺人犯ミシェル・フルニレと、その妻で共犯者のモニク・オリビエに迫るドキュメンタリードラマです。異常者のフルニレに怯えていたか弱い妻の正体はおぞましいものでした。
フルニレ連続暴行殺人事件とは
【予告動画】https://youtu.be/TWCxQ9AMY3M
1987年、フランス・ヨンヌ県オーセル郡
当時17歳の女子高校生イザベル・ラビルが、学校からの下校中に行方不明となります。
19年後の2006年、ヨンヌ県ビュシー・アン・オトにある井戸の中から遺体で発見されました。捜査は難航していたものの、2003年に誘拐未遂事件で逮捕されたミシェル・フルニレの自供によって事件が発覚しました。
1987年
かつてフルニレと同じ監房にいたジャンピエール・エレゴーシェの妻ファリダ・ハミシェは、フルニレ夫妻によって殺害されます。
犯行の動機はハミシェの金銭を奪うためで、この時手にしたお金でフルニレは巨大な城を購入しています。ハミシェの遺体は見つかっていないため裁判からは除外されましたが、フルニレは妻オリビエがハミシェを殺害したと話しました。
1988年、フランス・ヨンヌ県オーセル郡
当時18歳の女性マリアンジェレ・ドメスが行方不明となります。
2008年、オリビエが告発したことにより事件が発覚しました。
後の2018年にフルニレ自身もドメス殺害を自白したものの、遺体は発見されませんでした。
1988年、フランス・マルヌ県シャロン=アン=シャンパーニュ
当時20歳の女性ファビエンヌ・ルロイが行方不明となりました。スーパーマーケットの駐車場でフルニレ夫妻に出会ったルロイは、医者へ連れて行って欲しいと頼まれて快諾します。
しかし、ルロイはフルニレに暴行された後に銃で胸を撃たれて殺害され、遺体はフランス・マルヌ県モルメロン・ル・グランの軍事演習場近くの森で発見されました。
1989年、フランス・アルデンヌ県シャルルヴィル=メジエール
当時22歳の女性ジャンヌ・マリー・デスラモートが行方不明となります。デスラモートは列車に乗っていたところでフルニレ夫妻と出会い、そのまま誘拐されました。
2004年、フルニレの私有地からはデスラモートの遺体が発見されました。
1989年、ベルギー・ナミュール県サン=セルヴェ
当時12歳の女児エリザベス・ブリシェが行方不明となりました。フルニレとオリヴィエはブリシェが友人宅から出てくるのを待ち伏せし、姿を現したブリシェに対して「病院に行きたいから同行してくれ」との嘘で騙して誘拐します。
ブリシェを自宅に連れ込んだフルニレは、彼女に暴行を加えた後に絞殺しました。本件は、2004年にフルニレがブリシェの遺体を私有地に埋葬したと自供するまでは、ベルギーの連続殺人犯の仕業と誤認されていました。
1990年、フランス・ヨンヌ県オーセール郡
高校で英語教師をしていた当時20歳のイギリス人女性、ジョアンナ・パリシュが行方不明となります。翌日、ヨンヌ県モネトーの川で、暴行を受けて首を絞められた痕跡の残るパリシュの遺体が発見されました。
当時のオーセール郡では若年女性の失踪事件が多発していたことから警察は積極的な捜査を行わず、2018年にフルニレが自白するまで未解決事件のままでした。
1990年、フランス・ロワール=アトランティック県ルゼ
当時13歳の女児ナターシャ・ダナが、ショッピングセンターの駐車場で行方不明となります。ダナは、裁判所に召喚されて偶然ナント県を訪れていたフルニレ夫妻に誘拐されていました。
数日後に発見されたダナの遺体は、ルゼから70kmも離れたヴェンデ県ブレム=シュル=メールの海岸で見つかり、遺体には暴行された痕跡がありました。
2000年、フランス・アルデンヌ県シャルルヴィル・メジエール
フランスの高等学校教育の修了を認証する国家試験であるバカロレアを受験するべく、シャルルヴィル・メジエールに移住してきた当時18歳の女性セリーヌ・セゾンが行方不明となりました。
2002年、セゾンはベルギーで遺体で発見されています。
2001年、フランス・アルデンヌ県セダン
当時13歳のタイ系フランス人の女児マナニャ・トゥンポンが、図書館からの帰宅途中に行方不明となります。トゥンポンは行方不明となる週数間前にフルニレと図書館で出会い、家まで送ってもらったことがあり、この日もフルニレから息子と遊ばないかと自宅に招かれていました。
フルニレの提案を快諾して車に乗り込んだトゥンポンは、ベルギー・ルクセンブルク県パリウまで連れて行かれると、フルニレによって絞殺されました。トゥンポンの遺体は2002年に発見されましたが、ほとんどが野生動物により食い尽くされていました。
2003年、フランス・セーヌ=エ=マルヌ県ゲルマンテス
当時9歳の女児エステル・ムザンは、学校からの下校途中で行方不明となりました。
2020年、フルニレはムザン殺害を自白していますが、ムザンの遺体は見つかっていません。
2003年、ベルギー・ナミュール州シネイ
当時13歳の女児マリー・アッセンシオンは、フルニレ夫妻に誘拐されます。ところが、アッセンシオンは道中で脱走に成功したうえ、助けを求めた別の車の運転手の機転によりフルニレ逮捕にまで至りました。
アッセンシオンが助けを求めた別の車の運転手はフルニレの車がUターンしてくるとにらみ、実際Uターンしてきたフルニレの車のナンバープレートを控えていたのです。
約17年間も逮捕に至らなかったフルニレの緻密な手口
2004年。
フルニレが誘拐未遂で逮捕されてから1年近くの月日が経ち、フルニレの判決までの時間は残りわずかとなるも余罪に関する証言は得られずにいました。
そんな中、ついにフルニレの妻オリビエが尋問の重圧に負け、9人の子供や少女の殺害を告発します。最低でも10人を暴行殺害、20〜30年に渡る犯行でした。
フランス史上最悪の連続殺人犯となったミシェル・フルニレは8件の殺人で有罪となり、他にも20件以上の少女と若年女性の失踪事件の容疑者でもあります。フルニレは盗撮と暴行で有罪判決を受けて1987年に出所して以来、獄中で文通を通じて出会ったモニク・オリビエと共に約17年間も暴行殺人を繰り返します。
フルニレは出所後にオリビエと結婚し、後に1人息子を授かる。
フルニレが約17年間も逮捕に至らなかったのは、彼の緻密な手口と、時を同じくして暗躍していた連続殺人犯が複数人いたことが関係しています。フルニレの犯行現場はフランスとベルギーをまたがっていたり、殺害方法も同一ではなかったことから、そもそも連続殺人として分類されていませんでした。
しかもフルニレの犯罪のいくつかはベルギーの複数の連続殺人犯と同様の手口だったため、警察がフルニレに辿り着くのは困難を極めていました。また、普段のフルニレは周囲から好印象を持たれる人物で、逮捕される半年前にはベルギーの学校で監督者の職を得ており、誰も彼が連続殺人犯とは思わなかったのでしょう。
本当の黒幕は妻オリビエか
オリビエはフランス人の上位2%の知能を持っていた
フルニレの妻オリビエは2005年に行われたIQ測定で、IQ131というフランス人の上位2.2%に入る成績を叩き出しました。これは驚異的な数字であると同時に、”フルニレに支配されてきた従順な妻”というオリビエの主張が崩れた瞬間でもありました。
この時フルニレよりもオリビエの方が賢いことが判明し、オリビエが彼に操作されていたとは考えづらくなったのです。
オリビエには感情がなかった
オリビエが加担した事件は、殺人が1件と共謀が数件。当初、オリビエは”凶暴なフルニレに支配されていた従順な妻”だと思われていましたが、これはオリビエによる自作自演だったことがIQテストにより露呈しました。
オリビエには自ら殺人や暴行を行う気こそありませんでしたが、彼女はあからさまに道徳が欠如しており、罪悪感すら感じていませんでした。それを象徴するのは息子の存在で、夫フルニレが少女を暴行殺害する中でオリビエは子供を産み、子育てをしていたのです。
オリビエが子供を産んだのはフルニレ夫妻の最初の犯行イザベル暴行殺害事件から9ヶ月後で、その後も息子を連れながら犯行を行い、時には被害者を誘拐する手口として息子を利用していました。しかもオリビエは被害者が自分と同じ女性であるにもかかわらず、フルニレに嫌悪感を抱いたり、被害者に同情することもありません。
だからこそ、オリビエは被害者を誘う役を担い、被害者を暴行するフルニレの手伝いまでもを難なくこなすことができたのでしょう。オリビエは84歳となる2032年に条件付きで釈放申請が可能となりますが、今後はエステル・ムザン、ジョアンナ・パリシュ、マリアンジェレ・ドメスの裁判が控えています。
フルニレ暴行連続殺人事件の今後
2021年、フルニレは79歳で病死しています。これによりフルニレの関与が疑われる事件は謎に包まれたままとなり、事件の真相を解明する鍵を握るのは元妻のオリビエだけになりました。
オリビエは獄中でフルニレに離婚を求めるなど次第に自我を取り戻したように見えましたが、フルニレの亡き今世界中の注目が自分に集まることに快感を覚えているようです。そのためオリビエがどこまで本当のことを話すのかは曖昧で、その他の未解決事件の解明に至るのか危ぶまれます。
とはいえ、フルニレ夫妻の犯行を時系列でみると1年に1〜2人のペースで行われているうえ、フルニレの異常さに鑑みて警察は1991年から2000年までの間に犠牲者がいないはずはないと考えています。