【リバーデイル】シーズン7第12話のあらすじ考察。エセルが牛乳配達便を殺害したことから状況が一転しました。また、アーチーやベティも今の自分に違和感を感じ始め…。
【リバーデイル】シーズン7第12話あらすじ
ジュリアンがバスケ部員を乗せた車が川に転落した件で、ジュリアンの父クロフォードは全てをレジーのせいにして”疫病神を追い出せ”と、レジーをバスケ部から追い出そうとしていました。また、エセルとジャグヘッドから牛乳配達を殺害した経緯を聞いた保安官は、おかしなことに「単純明快な事件」だと2人に話します。
エセルが説明したのは、
- 両親を殺して逃げ去った人と同じであること
- 襲ってきたのでナイフを奪って刺したこと
ジャグヘッドは、エセルを庇おうと正当防衛を訴え、エセルも署に行って説明すると言ったのに、保安官は「すべての謎が解けた。単純明快な事件」だとそれ以上エセルを追及することはしませんでした。
また、本来は施設に逆戻りされるはずでしたが「大人が管理する」を条件にエセルの施設戻りは免れました。そして、なぜかアリスやワーザーズ、校長のエセルへの態度も一転します。
【リバーデイル】シーズン7第12話の考察
ワーザーズ”博士が口を滑らせた”放浪者”とは
これまで、大人たちはエセルが牛乳配達便のことを訴えても、疑うような素振りでしたが、今回はまるでエセルをヒーローみたいに扱っています。そして気になるのは、ワーザーズが配達人を”放浪者”と言ったこと。
保安官から聞いたというものの、これはうっかり口を滑らせただけでしょう。その理由は、思うにワーザーズたちは最初から配達人が放浪者だと知っていたからではないかと思います。
放浪者を使って、コミック通りの殺人を犯させていた可能性もあるのではないかと。
エセルの両親とレイベリの殺害、そして今度はエセルを殺そうとしたのに「ただの放浪者」で片づけるのはおかしなこと。なぜエセルを襲おうとしたのか?
なぜなら、亡くなったレイベリを除けば、牛乳配達便の顔を見たのがエセルだけなので口封じをしようとしたのではないかと考えました。また、正当防衛だとしても牛乳配達便を殺害したのであれば、まずは警察署で調書を取るはずなのに、保安官はエセルが「警察署で証言する」と言っているにもかかわらず、なぜかそれもしませんでした。
まるで、「必要ない」と言っているようにも見えます。それはワーザーズも、まるでエセルの味方かのように「見事に形成を逆転させて疑いを晴らした」とエセルを称えていました。
なぜ、彼らはここまで一転したのでしょうか?
もしかしたら、”大人たち”は知り過ぎた”放浪者”を厄介払い出来たと考えているのかもしれません。彼らは”放浪人”を利用して、殺しをさせていたもののコントロールが効かなくなりエセルに殺されるように仕向けたとも考えられます。
「放浪者なら放浪するはず」というジャグヘッドとエセルの言葉通りで、ワーザーズに疑問を投げつけると「君たちは推理する立場にない」と話しを断ち切ってしまったのは、隠しごとがあるからでしょう。
名作に引っ掛けたタイトル?
今回、ジャグとエセルが出版社に持ち込んだコミックのタイトル「〒配達人は二度来る」は、何度も映画化されたジェームズ・M・ケイン原作小説「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(1934)に引っ掛けたタイトルでしょう。
これは、夫を殺した妻と殺人を共謀した愛人の関係を描いた物語で、実際に起こった事件が基になっています。殺人というキーワードとタイトルを考えると、恐らくそうではないかと感じました。
感じつつある違和感
エセルは、再びベティの家に住むことになりました。しかし、前にベティの家に預けられた直後にエセルは施設送りにされています。
ただ、今回アリスの態度がその時とは逆で、エセルをまるで”娘”のように扱いベティに無関心な態度をとり、ベティも自分だけ何かが違う「養子かも」と感じていたようでした。自分だけ何かが違うと感じていたのは、本来そこにいるベティは現代のベティだからでしょう。
また、授業でソーントン先生がアーチ―の詩を生徒に紹介しましたが、その内容からアーチー自身も自分に違和感を感じているように思えます。
- 鏡を見ると誰も映っていない、鏡と煙が見えるだけ
- 僕には実体がない
これは、本当(現代)の自分を思い出しつつある兆候なのかもしれません。
【リバーデイル】シーズン7第12話のまとめ
クリフォードが、息子のジュリアンを馬鹿呼ばわりしたり、ジュリアンが意識不明の状態なのにバスケの試合を決行したり、チアを拒否したシェリルを「兄弟より危ない目に遭う」と脅したり、レジーを目の敵にしたリと、これまで以上にクリフォード自体が愛のない”悪の根源”であることが伺えました。
また、大人の中で特に異質と感じられるのは、クリフォード、ワーザーズ、校長、ベティの両親、保安官ですが、アーチーの母はまともな大人ではないかと思えます。
そして、今回ちょっと気になる存在なのはソーントン先生でした。授業でアーチー詩を紹介したとき、アーチーが部長として演説した時も褒めていたりと、アーチーが本来の自分を思い出すための手伝いをしているようにも見えます。
ただ、アーチーがスピーチで何を話したのかが描かれてなかったので、もしかしたらスピーチの内容に重要なキーワードが含まれているのかもしれません。